大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

浦和地方裁判所 平成3年(わ)84号 判決 1992年2月05日

主文

被告人は無罪。

理由

一  公訴事実

本件公訴事実は、

被告人は、法定の除外事由がないのに、平成三年一月下旬ころ、埼玉県内又はその周辺において、覚せい剤であるフェニルメチルアミノプロパンを含有するもの若干量を自己の身体に施用し、もって、覚せい剤を使用したものである。

というものである。

二  当裁判所の判断

1  被告人は、捜査段階の当初から本件審理の終結に至るまで一貫して本件公訴事実を否認している。

2 当裁判所は、平成三年一二月一八日、第九回公判期日において、それまでに取り調べた証拠のうち、司法警察員Y作成の捜索差押調書、同乙作成の鑑定嘱託書(謄本)及び埼玉県警察本部刑事部科学捜査研究所長作成の「鑑定結果について」と題する書面について、弁護人からの排除を求める旨の異議申立を容れ、これを証拠から排除する決定をした。

その理由は、本件記録に編綴された同日付決定書に記載のとおりであり、その骨子は、捜査官らは、平成三年一月二九日、被告人から尿の提出を得て、これを差し押さえ、埼玉県警察本部刑事部科学捜査研究所に鑑定嘱託し、同研究所においてその鑑定が行われたが、右の捜査官らの採尿に至るまでの一連の捜査手続には法定の適正手続と令状主義の精神を没却した重大な違法が認められ、このような違法な手続によって得られた被告人の尿を証拠として許容することはできず、したがって、これが証拠能力を有することを前提として作成された右決定にかかる各書面にも証拠能力を認めることができない、というものである。

3 しかるところ、本件のその余の全証拠によるも、本件公訴事実を認めることできない。

検察官は、被告人を取り調べた捜査官である証人Yの当公判廷における供述によると、被告人の前記尿を予試験及び鑑定した結果、覚せい剤が検出されたこと及び当時の被告人の左腕に真新しい注射痕が存在したことが認められる旨主張し、右証人もこれに副う供述をしている。

しかしながら、右の被告人の尿に関する証言部分については、前記のとおり、その尿を証拠として許容することができない以上、その対象ないし裏付けを欠くものとして無意味なものとならざるをえない。

また、右の被告人の腕の注射痕に関する証言部分については、すでに前記決定において検討したように、証人Yは、被告人を逮捕した平成三年一月二九日にその左腕に四日位を経た注射痕を認めた旨を供述し、また、右Yと一緒に捜査に当った司法警察員Aも当公判廷において、証人として、当時、被告人の左腕に新しい注射痕を認めた旨を供述するが、被告人は、当公判廷において、当時、そのような注射痕はなかった旨供述するところ、右各証言内容は、いずれも、当時、被告人に対してその注射痕についてどのように質したのか、その点が曖昧であり、また、右Yが翌三〇日に司法巡査に被告人の腕を撮影させて作成した写真撮影報告書の写真には、作成者自身が認めるように、右のような新しい注射痕を認めえないところ、当時、右捜査官らが被告人の腕の注射痕なるものについて、接写写真を撮ったり、医師の観察を得るなどしてこれを客観的な資料に留めようとした形跡は全くなく、しかも、右Aが当時作成した捜査報告書には、被告人の「右腕」に「特に真新しい」注射痕と認められる痕跡を認めた旨の、右の自らの証言とも明らかに異なる虚偽ないし誇張を伴う記載がなされていることなどの事実に照らすと、右の各証言部分は到底、これを措信し難く、却って、右事実によると、当時、被告人の腕には被告人が述べるように、新しい注射痕はなかったものと認めるのが相当である。

なお、仮に、被告人の腕に右証言のような注射痕が存在したとしても、その注射液の成分が明らかとならない限り、これをもって直ちに本件公訴事実を認めることはできないところ、その点に関する証拠もない。

したがって、検察官主張の事実はいずれもこれを認めることができず、また、その主張にかかる注射痕については仮に、それが認められるとしても、これをもって本件公訴事実を認めるに足りないものといわなければならない。

そして、他に、本件公訴事実を認めうる証拠はない。

三  結語

以上の次第で、本件公訴事実については、その犯罪の証明がないことに帰着する。

したがって、被告人に対しては、刑事訴訟法三三六条に則り、無罪を言渡すべきこととなる。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判官岩垂正起)

《参考》

主文

本件被告事件の証拠として取り調べた司法警察員Y作成の捜索差押調書、同Z作成の鑑定嘱託書(謄本)及び埼玉県警察本部刑事部科学捜査研究所長作成の「鑑定結果について」と題する書面を証拠から排除する。

弁護人のその余の申立を棄却する。

理由

第一 本件申立て

弁護人は、本件被告事件においてすでに取り調べた主文一項に掲記の各証拠及び司法警察員Y作成の写真撮影報告書について、これを証拠から排除することを求める旨の異議申立をした。

その理由の骨子は、右各証拠は、捜査官が被告人に対する違法な別件逮捕に基づく捜査によって収集したものであり、その違法の重大性に鑑みると、右各証拠の証拠能力は否定されるべきである、というものである。

第二 当裁判所の判断

一 本件記録によると、前記の弁護人が排除を求める各証拠は、平成三年四月一五日の本件第一回公判期日において、検察官が取調べを請求し、弁護人がその取調べに同意し、当裁判所がこれを証拠として採用し、その取調べを行ったものであることが明らかである。

二 そこで、本件申立ての各証拠の証拠能力について検討する。

1 本件捜査の経過

本件各証拠によると、以下の事実が認められる。

埼玉県大宮警察署(以下「大宮署」という。)は、平成三年一月二八日、大宮簡易裁判所の裁判官から被告人が覚せい剤を所持する疑いで浦和市<番地略>所在の○○A棟一〇五号の被告人方に対する覚せい剤等の差押を目的とする捜索差押許可状の発布を得た。そして、翌二九日(以下「当日」ともいう。)午後一時過ぎころ、埼玉県警察本部から派遣されていた警部補Y巡査部長A及び大宮署のB、C司法巡査の四名が被告人方に赴いた。当時、被告人方には長男(一七歳、有職)が独り住み、被告人は、同県加須市内でスナックの、ホステスのD(四〇歳前後)と同棲しており、一週間に一度位の割合で帰宅していた。右捜査官らは、被告人方を訪ね、その長男の応対で被告人の不在を知ると、三棟が並ぶ右アパートの脇に在る駐車場の奥方に乗ってきたワゴン車を停めて待機し、二〇分余り経つと、被告人が自動車(トヨタクレスタ)で右Dを同乗させて右駐車場に入ってきた。被告人は、駐車場に入ると、中央辺で自車を一度停めた後、逆戻りさせて道路側の壁際に停車させ、この間に、右Dが先に下車し、五〇メートル前後離れた被告人の住むA棟の方に向かい急ぎ足で赴いた。捜査官らは、その様子から、二人が親しい関係にあるものと感じたが、Dの方は放置し、停車した被告人に近寄り、下車した被告人に対し、Y警部補とA部長が覚せい剤取締法違反の容疑で被告人方を捜索に来た旨を告げた。被告人は、「誰がそんなチンコロ(密告)したんだ。」などと一瞬声を荒らげたが、直ぐに収まり、「判った、令状はあるか。」と質し、両名が「ある。」と答え、右ワゴン車の中で話すことを求めると、素直に応じて同車両に入った。その後、A部長とY警部補ないしB巡査のいずれかが右車両内で被告人と応対し、他の二人の捜査官が被告人の停めた車両の中の捜索を始め、被告人は、これを右令状によるものと受け止め、黙認した。A部長らは、被告人にそのころの覚せい剤の使用の有無について質し、被告人が否定すると、尿の提出や注射痕を確認させるよう求めた。被告人は、尿については、「令状でもあるのか。」と反問して提出を拒んだが、注射痕については、「いくらでも見てくれ。」と両腕を晒して見せ、A部長らがその左肘の内側辺の数か所を指摘して質すと、いずれも古い注射痕や身に覚えのないものである旨答えた。このようにして、一〇分前後が経過すると、被告人の車両内を捜索していたC巡査が運転席のドアポケットの中から刃体の長さ約9.4センチメートルの果物用ナイフを発見した。Y警部補は、被告人にその所有について質し、被告人は、前年の夏ころ、車内で果物を食べた際に購入し、置き忘れていたものである旨答えた。すると、同警部補は、近くの公衆電話で県警本部に問い合わせ、右ナイフの刃体の長さが刃物の不法携帯を禁ずる銃砲刀剣類所持等取締法(以下「銃刀法」という。)二二条が定める六センチメートルをこえるものであることを確認して戻り、被告人に対して、右ナイフについて、右のほかには何ら質すこともせずに、同日午後一時四五分ころ、その不法携帯の罪の現行犯人として逮捕する旨を告げ、右ナイフを押収した。被告人は、「果物ナイフで現行犯逮捕なんて、とんでもない。」などと激しく抗議したが、これを聴き容れようとしないY警部補らの態度をみて、間もなく諦めて静まり、右逮捕を甘受することとなった。そして、被告人は、右四名の捜査官と共に自らの居室に赴いて留置場での必要品を調えた後、右ワゴン車で大宮署に連行され、同日午後二時二五分ころ、引致された。この間、捜査官らは、被告人の居室を捜索することも、前記Dについて質すこともしなかった。

大宮署では、被告人が到着すると、先ず、E巡査部長が右ナイフ携帯について、被告人からの弁解録取を行い、被告人は、前にY警部補に述べたと同様に供述し、その手続は数分で終了した。

その後、右警部補とA部長が替って被告人に対し、尿を採取するよう繰り返し求め、被告人は、前記逮捕に腹を立てていたことから、頑強に拒み、「令状もないのに出す必要はない。」、「出ない。」などと答えた。そして、右Yらは、被告人のそのような態度をみて、強制採尿を行うことも考え、間もなく、別室でその疎明資料の作成にとりかかり被告人は、他の捜査官らの応対を受けつつ、同署から出される茶や署内の自動販売機で買い求めた飲料を何杯か飲んで過ごすこととなった。かくして、同日午後三時半過ぎころに至ると、被告人は、周囲の者に対し、激しい腹痛と下痢症状を訴え、便所を使わせて欲しい旨を申し出た。ところが、これを知って駆けつけたY、Aの両名は、被告人の右の申し出を採尿を逃れようとして個室内で排尿することを図っているものと判断し、被告人に対し、排便の前に採尿するよう迫った。被告人は、尿が出ない旨答え、排便のために個室を使わせて欲しい旨求めたが、右両名は、なおも疑って許さず、排便したければ、便所の床上で行うよう申し向け、被告人の行動を監視すべく、当日被告人方に赴いた他二名の捜査官らを伴い、被告人と一緒に便所内に入った。それでも、被告人は、便意をこらえ切れず、右四名の目前の床に敷かれた新聞紙の上に排便した。しかし、排尿はしなかった。

右のような経過を経て、右Y、Aの両名らは、被告人から任意採尿を得ることを諦め、同日午後四時三〇分過ぎころ、大宮簡易裁判所に被告人からの強制採尿を目的とする捜索差押許可状を請求し、間もなくその発布を得て戻り、同日午後五時ころ、被告人に対し、右の令状を用意した旨を告げた。被告人は、それでも、自らは採尿しようとせず、右捜査官らに促され、病院に赴くべく、前記ワゴン車に乗ったが、前記B巡査から勤務が長引くことを嘆かれると、同情して署内に戻り、同日午後五時一〇分ころ、自ら尿を採取してY警部補に提出し、同人は、これを差し押えた。そして、大宮署は、同日、埼玉県警察本部科学捜査研究所に右の尿の鑑定を嘱託した。また、Y警部補は、その翌日、司法巡査に被告人の左腕を注射痕を目的として写真撮影させた。本件申立にかかる前記の各証拠は、右の、被告人の尿の差押え、鑑定嘱託、これに対する鑑定及び写真撮影に伴い作成されたものである。

一方、被告人の前記果物ナイフについては、大宮署では、E部長が、前記逮捕の翌日の一月三〇日に被告人を取り調べ、二通の供述調書を作成したが、その一通は、九枚綴りの、被告人の身上経歴を録取したものであり、他の一通は四枚綴りの、右ナイフについては、単に、被告人の「去年の夏頃、果物を買った時にナイフも買ったもので、詳しく店の名前や値段等を覚えていませんが、買ってから車のドアポケットに入れ放しにしておいた訳です。」との供述を録取したに止まるものであった。そして、同署は、その翌日の三一日午前中に、被告人を右各供述書とY警部補が作成した現行犯人逮捕手続書等とともに浦和地方検察庁に送致した。同検察庁では、被告人に対し、右ナイフの所有事実を確認したのみで、勾留請求は行わず、その旨を大宮署に通知した。大宮署では、この通知を受けると、その日の午後、大宮簡易裁判所から被告人の覚せい剤使用を被疑事実とする逮捕状の発布を得て執行した。

その後、大宮署と検察庁のいずれも被告人に対し、専ら覚せい剤の使用についての捜査を進め、同年二月二〇日、本件覚せい剤使用事実の公訴を提起して現在に至っており、前記の被告人方に対する捜索令状は結局執行することがなく、前記果物ナイフについての捜査も進めることはしなかった。

以上の事実が認められる。

2 本件捜査の問題点

(一) 被告人方の捜索を行わなかったことについて

捜査官が裁判官から捜査のための許可令状の発布を受けたとしても、その有効期間内に現実に執行を行うか否か、何時行うか等については、具体的状況に応じて自らの合理的判断に基づいて決めるべき事柄であることはいうまでもない。

ところで、捜査に右の令状を必要とする法の趣旨、すなわち、その執行が対象者の人権にかかわるものであることを考えると、捜査官は、右の令状の発布を求めるに当り、これを必要とする理由を真摯に疎明すべきであり、そうであるならば、右の令状の発布を得た以上、これを不要とする事態は例外的にしか考えられないものである。

本件についてみると、前記のとおり、捜査官らは、被告人が覚せい剤を所持するとの疑いでその居室に対する捜索差押許可状の発布を得て、実際に、被告人方に赴き、その近くで被告人に出会いながら、結局、その執行を行わず、その後もこれを行うことなく捜査を終了している。右の令状の不執行について、前記のとおり被告人方の捜索に赴いた筈のY警部補とA部長は、それぞれ、証人として、その理由を種々弁明するが、いずれも首肯しえないものであり、他に、そのことを合理的に説明しうる資料はない。

もっとも、捜査官が本件のような覚せい剤事犯での捜索差押許可状を執行することによって、所期の目的物を発見するに至らなくとも、その際に、何らかの関係資料を獲得し、或いは、被疑者を警察署に同行させたり、その尿を提出させるなどの契機が得られる場合のあることは否定できない。

しかしながら、そのような出来事は、右の令状執行の際にたまたま派生的に生じうるものにすぎず、当初からそのことを狙い、その令状の本来の目的、本件についていえば、覚せい剤等の差押え及びその令状発布を得るための疎明を蔑ろにすることは許されないものといわなければならない。

再び本件についてみるに、捜査官らは、被告人方に捜索令状を携えて赴きながら、別件の、本来の捜査目的の覚せい剤の所持と比べると、いわば微罪というべき刃物の不法携帯の罪で被告人を逮捕すると、被告人方の捜索を行わずに引き返し、しかも、その後は、専ら被告人に対する覚せい剤使用についての捜査を進め、右の令状の本来の目的に副った覚せい剤所持については、その後捜査を進めた形跡は全くない。

そして、右事実によってみる限り、本件の捜査官らの被告人方の捜索令状の請求については、被告人方にその覚せい剤等の存在する蓋然性が低いことを知りながら、専ら前記の採尿や同行させる契機を得ることを目的として行ったものではなかったのか、との疑念が生ずることを禁じえず、この点において、捜査官らには、令状主義を軽視した責を問われるものがあるといわなければならない。

当公判廷において、A部長は、前記駐車場で被告人にその居室への案内を直ちに求めなかった理由について質されると、「あくまでも、わたしは、丙本人を確保するという……。」、「その場からとりあえずは動かせない状態に(して)聞くと。」と述べるのみで、それ以上に説明しえず、被告人は、Y警部補が右現場で前記果物ナイフを手に県警本部と電話で連絡を取って戻ると、「ああ、いい、これがあるからいいと、何も言う必要ないからいい。現行犯逮捕する。」と言った旨を(第三回公判)、「ああ、いい、いいと、これさえありゃ、もう持っていけるんだから、心配ないよ。……もう、これは現行犯で逮捕できるんだ。」と言った旨を供述する。

右の各供述内容は、前記認定の事実の経過に符合してともに信ぴょうせいが認められるとともに、前記の疑念を一層深めるものである。

(二) 被告人に対する現行犯逮捕について

前記のとおり、本件の捜査官らは、被告人の車両の運転席のドアポケットに刃体の長さ約9.4センチメートルの果物ナイフが入っているのを発見すると、その刃体の長さが銃刀法二二条が定める六センチメートルをこえるものであることを理由に、しかも、殆どそのことのみを理由に被告人をその不法携帯の現行犯人として逮捕している。

ところで、右ナイフは、司法警察員Y作成の捜査報告書によると、先端は鋭利ではあるものの、何処ででも入手することができ、日常的に用いられるものと思われる形状のものであることが認められるところ、被告人は、当時、捜査官に対し、それが自らの物であることを認めるとともに、その入手経過とこれを右ドアポケットに置き忘れた旨を一応説明しており、当公判廷においても、同様の供述をし、右ナイフは当時鞘に納めており、これを入れたドアポケットは幅五〇センチメートル位、深さが一五センチメートル前後で、入口が伸縮して開閉されるように作られたものであった旨供述する。そして、被告人の当公判廷における供述、被告人の司法警察員に対する平成三年一月三〇日付供述調書(謄本)等によると、被告人は、以前から暴力団の相談役をつとめ、それまでに各種の罪で処罰されてはいるものの、当時、定まった住居を有し、梱包会社の運転手として稼働していたことも認められる。

ところが、捜査官らは、前記のとおり、当時、被告人に対し、そのナイフに関する弁明について何ら詳しく質すことをせずに、その不法携帯の罪で逮捕し、しかも、直ちには行わず、その刃体の長さが法的に不法携帯の対象としての要件を具えたものであることを問い合わせて確認した後に初めてこれに及び、被告人を大宮署に連行した後は、簡単な弁解録取書を作成したのみで、専ら尿の提出を求め続けながら強制採尿手続を進め、右ナイフの携帯に関してはその後何ら然るべき実質的な捜査が行われずに終っているのである。

そして、右の事実に照らすと、右現行犯逮捕自体、当時、これを行わなければならない程の理由、すなわち、被告人に右ナイフの不法携帯の故意、その罪証隠滅のおそれ、逃亡のおそれや必要性があったものとは到底認め難いうえ、前記(一)の関係者の右逮捕の際についての公判供述等を併せ考えると、右逮捕は、専ら、被告人に対し、本件の覚せい剤使用についての捜査、直接的には、その尿を採取することを目的として行ったものと認めるほかない。しかも、右逮捕は、本来の捜査目的の本件の覚せい剤使用について、後記(四)のように、未だ被告人を逮捕しうるほどの疎明をなしえない段階でこれを行ったものとして、違法性の強いものといわなければならない。

前記の、捜査官らが当日被告人を銃刀法違反の罪で逮捕、連行しながら、現実には、その後、被告人の排便さえ許さずに尿の提出を迫まり、遂には、目前の床上で排便を行わせるに至った行為やそのことに関する捜査官の当公判廷における供述、すなわち、「トイレ(個室)ですと、大便をするふりをして、おしっこをたれ流してしまうわけです。それを防止するために己むを得ずそういうことをやるわけなんです。その前に採尿が終わっていれば、敢えてそんなとこでさせません。」(Y警部補)、「尿を採らなければ覚せい剤の立証ができないからです。あくまでも、尿を出しちゃうための言い訳と思いました。(尿を)逮捕後直ちに採りたいというのが私達の考えなんですが。説得の後に出さないんであれば、令状を取って強制採尿をしようと。」(A部長)との供述は、右逮捕の真の意図が被告人から尿を提出させるための身柄の確保にあったことを如実に物語るものといわなければならない。

検察官は、当時、捜査官らが被告人の果物ナイフの携帯についても不法携帯としての捜査を行う意思を有していた旨主張する。

そして、被告人の当公判廷における供述並びに被告人の司法警察員に対する平成三年一月三〇日付供述調書二通、司法警察員Y作成の現行犯人逮捕手続書(謄本)及び捜査報告書によると、捜査官らは、右ナイフの携帯について、少なくとも、当時、前記弁解録取書のほか、被告人の現行犯人逮捕手続書を作成し、翌日の三〇日に被告人を取り調べ、供述調書二通を作成したこと及び当時、被告人の車両のドアポケットの状況及びナイフの形状を撮影し、その写真を添付した一月二九日付の捜査報告書も作成していることが認められる。

しかしながら、右捜査報告書の内容は、単に右ナイフの本体部分と右ドアポケットの外観を撮影した写真を添付したものに止まり、ナイフに鞘が付いていたか否か、ドアポケットの構造、ナイフがこれにどのような状態で入っていたのか等のその不法携帯を判断すべき何らの実質的資料を提供しえないものであり、また、右供述調書も、前記のとおり、簡単なもので、右の実質的資料とはなりえないものであるところ、その後、右ナイフ携帯について更に捜査が進められることがなかったこともまた前記のとおりである。そして、これによると、右の各捜査資料の作成は、被告人に対して銃刀法違反罪で行った現行犯逮捕について、これを適法に行ったものの如き外観を整えたに過ぎないものといわれてもやむをえないものであり、これをもって、検察官の主張を認めるには足りないものといわなければならない。

また、仮りに、捜査官らが当初、被告人の右ナイフ携帯についても捜査する意思を有していたとしても、その捜査が右のように、実質的に行われることがなく終了している事実に照らすと、少なくとも、その捜査のために被告人を現行犯逮捕する程の必要性はなかったものといわなければならない。

したがって、検察官の前記主張は、いずれにせよ、前記の認定、判断を左右しうるものではない。

検察官は、また、右ナイフの不法携帯については、被告人に対する本件覚せい剤使用の事実を訴追することによって刑事政策の目的を達成しうるものと考え、これを起訴猶予処分に付したものである旨主張する。

そして、右主張のような事件処理が行われる事例も存するであろうことも理解しうるところである。

しかしながら、本件についてみる限り、そもそも、捜査官が被告人が犯したとする刃物の不法携帯の罪と覚せい剤使用の罪は、その保護法益を全く異にするものであり、このことを考えると、その一方の罪に対する処罰をもって他の罪に対する処罰を全うすることは、原則的には、ありえないことである。そして、本件の捜査官らが、もし、被告人の本件ナイフの携帯について、その現場で、当初予定した被告人方の覚せい剤等を目的とする捜索を中止してまでも現行犯逮捕しなければならない程の違法性と捜査の必要性を認めたとするならば、少なくとも、これを覚せい剤使用の罪に比して別に処罰を求める必要もない程に軽微なものとして処理することは、到底、理解し難いところである。また、右のような比較、検討は、各被疑事実について、一応の捜査を終えて初めてなしうるものと解されるところ、本件の場合、被告人の刃物不法携帯については、その実質的捜査をせずに終ったことは前記のとおりである。

したがって、検察官の前記主張も理由を認めることができない。

(三) 被告人に対する採尿の求め方について

捜査官らが当日被告人を銃刀法違反の容疑で逮捕しながら、大宮署に連行すると、被告人に対して尿の提出を迫り、排便のために便所の個室に入ることも許さず、目前でこれをさせた事実及び被告人がその後午後五時過ぎまで排尿しなかった事実は前記のとおりである。そして、右経過に、これに副う当公判廷における被告人の供述並びに証人Y、同Aの各供述部分を併わせると、被告人の排便は、被告人が当時訴えたとおりの下痢であったものと認めるのが相当であり、これに反する右証人らの供述部分は措信しえない。

ところで、捜査官らが、もし、被告人を銃刀法違反の罪を犯している疑いを抱き、その捜査のためにその身柄を確保することを必要と考えて逮捕したとするならば、その目的の捜査を行うこともせずに、右のように別の覚せい剤使用の罪についての本格的な捜査を被告人自身に対して開始することは、その身柄拘束の不利益を甘受する被告人に過分の負担を与えるものとして、本来許されない筈のものである。

また、捜査官が被告人に対し、本格的に尿の提出を求めうる状況に至ったとしても、たとえ、強制採尿の許可令状を得たとしても、右のような、正常な排便の機会も与えず、複数の者の目前でこれを行うことを強いてまで尿の提出を求めるような方法は、不当に人権を侵害するものとして到底許されないものといわなければならない。強制採尿令状は、捜査する者とされる者の双方のために右のような方法を不要、不当とするものとして理解されるべきものであり、本件の令状に付された「その執行としての強制採尿は、専門家としての医師によって医学的に相当と認められる方法により行わせること。」との条件も右趣旨に副うものである。

本件の捜査官らの被告人に対する尿の提出の求め方は、右の各点において誤まりが認められ、その結果、被告人に対し、耐え難い苦痛と恥辱を与え、その人権を著るしく侵害したものといわなければならない。

(四) 強制採尿令状の取得について

証人Y、Aの当公判廷における各供述、司法警察員A作成の捜査報告書及び司法警察員作成の犯罪経歴照会結果報告書によると、大宮署は、前記のとおり、被告人を逮捕してから三時間近くを経過した午後四時三〇分過ぎころ、大宮簡易裁判所に対し、被告人からの強制採尿を目的とした捜索差押許可状を請求し、午後五時近くに、その発布を得たが、右請求にあたり、被告人がそのころ覚せい剤を使用した疑いを疎明すべく提出した資料は、実質的には、前日に被告人方に対する捜索差押許可状を請求した際に添付した資料に右捜査報告書を加えたものであったこと及び右の前日の資料の中には、被告人が少なくとも六回の覚せい剤取締法違反による処罰歴を有する旨の資料も含まれていたことが認められる。

ところで、先ず、右の被告人方に対する捜索令状請求の際に添付された疎明資料については、前記(一)で述べたように、果して、それが被告人方に実際に覚せい剤等が存在する蓋然性を実質的に疎明したものであったのか、について疑われても仕方のない事情の存するものである。

次に、右の強制採尿令状請求の際に添付された捜査報告書の内容について、実質的疎明にかかると思われる部分を摘出すると、以下のとおりである。

前記被告人方近くの駐車場において、事情聴取した際に、「被疑者(被告人)の態度は常に落ちつきがなく、ことさら大声を出す等不自然なものであり、覚せい剤乱用が充分に認められたもので、被疑者が大声を出し、わめきちらす為、その場における事情聴取が困難と認め、捜査用車両にとりあえず同乗させた。」、

「現在の被疑者は、その言動からして、自己の身体に覚せい剤を乱用している事が認められ、……」、

「当初の捜査でも覚せい剤の乱用事実が発覚していたもので、……」、

「逮捕前において、被疑者の承諾のもとに腕部を確認したところ、右腕部には特に真新しい注射痕と認められる痕跡を認めたもので、……」、

「このため、尿の任意提出を求めたものであるが、『令状もないのに、出す必要はない。令状があれば出す。』等の申し立てをなし、……採尿を拒否している……」、

以上のとおりである。

しかしながら、

’  右の、被疑者の態度に関する記載については、前記1に認定の、その前後の経過並びにこれに副う当公判廷における被告人と証人Aの各供述及び証人Yの供述部分、司法警察員作成の現行犯人逮捕手続書(謄本)によると、被告人が駐車場で捜査官らに対して態度を硬化させたり、反発したのは、駐車場で捜査官らと会った当初と、捜査官から銃刀法違反容疑で現行犯逮捕される旨を告げられた直後のことであり、その他に右記載にあるような態度を示すことはなかったものと認められ、これに反する証人Yの供述部分は措信し難く、これによると、右記載部分は、被告人の態度について相当な誇張と虚偽を混えたものといわなければならない。

’  右の、被告人の覚せい剤を乱用している事実が認められる旨の記載は、具体的にどのような言動から何故にその乱用の事実が認められるのかを明らかにしていないものである。

’  右の、被告人の覚せい剤の乱用事実が発覚していた旨の記載は、その裏付けを全く伴わないものである。

’  右の、被告人の右腕には特に真新しい注射痕を認めた旨の記載については、前記1に認定のとおり、当時、被告人の注射痕を確認したA部長らが特に注目したのは、被告人の右腕ではなく、左腕であり、しかも、その左腕について、被告人は、当公判廷において、当時新しい注射痕はなかったと供述し、右両名の証言も、Y警部補は、四日位を経た注射痕を認めた旨を、A部長も、新しい注射痕を認めた旨をそれぞれ供述するものの、いずれも右記載の「特に真新しい注射痕」のような供述はせず、また、いずれの供述内容も、当時、被告人に対するその個所についての質し方が曖昧なものに終わっており、更に、Y警部補が三〇日に司法巡査に撮影させた写真撮影報告書の写真には、右捜査報告書に記載するような注射痕を認めえないところ、右写真撮影報告書の作成者のY警部補自身も、右写真報告書の中に、右の新しいものである筈の注射痕について、「接写写真でなかった為に、出来上った写真にその注射こんの模様が写っていないが、一応これを添付する。」と記しており、しかも、当時捜査官らが、その接写写真なるものを撮ることによって被告人の当時の新しいとする注射痕を資料に留めた形跡は全く存しない。

そして、以上によると、当時の被告人の両腕には、被告人が述べるように、新しい注射痕はなかったものと認めるのが相当であり、その腕の状態を確認したA部長が自らが注目したのが左腕であったのに、これを本件強制採尿令状を請求した際に添付した捜査報告書に誤って右腕と記載したことは、その左腕にも印象に残るような新しい注射痕を確認しえなかったことの証左といわれても仕方のないものである。

このように、本件の捜査官らが強制採尿令状の発布を得べく疎明資料として提出した捜査報告書は、客観的資料として極めて重要な注射痕についての記載までも、偽りが存するものである。

右の被告人の発言内容は、それ自体、当然の理であり、捜査官がこれを殊更に問題視するとすれば、それは、自らの誤った捜査観を吐露するものといわなければならない。

以上のように、本件の捜査官らが強制採尿令状の発布を求めた際に裁判官に提出した捜査報告書は、被告人がそのころ覚せい剤を使用していたことの疑いを疎明すべき資料としては、重要な点で虚偽、不明の記載のなされた実質のないものであるところ、他に、捜査官らが右の疑いを疎明しうる資料を提出した形跡はない。

したがって、本件強制採尿令状は、捜査官らが裁判官に虚偽を混えた疎明資料を提出することによって発布を得たもの、換言すれば、担当裁判官が、もし、右の虚偽を知りえたならば、発布しなかったものとの疑いを拭い難いものといわなければならない。

(五) 被告人の採尿について

前記1に認定の事実経過によると、被告人が最終的に自ら尿を採取して捜査官に提出したのは、捜査官から強制採尿令状が発布されたことを告げられ、これを執行すべく医師の許に連行されかかるに至り、もはや、強制的に採尿されることを逃れえないものと受け止めたからにほかならないものと認めるのが相当である。

したがって、本件の被告人の採尿とその提出行為は、捜査官が被告人に対して右令状に基づく心理的強制を加えることによって行わしめたものとして、医師を介した強制採尿と実質的に異なるものではなく、捜査官も、右の被告人の採尿とその提出を右令状の執行に基づくものと認識し、提出された尿を差し押さえ、その一連の手続について捜索差押調書を作成している。

ところで、右令状は、前記(四)で述べたように、捜査官が重要な虚偽を混えた疎明資料を裁判官に提出することによって発布を得たとの疑いを拭い難いものであり、これによると、その執行自体が本来許されなかったものといわなければならない。

また、右の点をさて措くとしても、右令状は、前記1のとおり、捜査官が被告人を別件の銃刀法違反罪で逮捕してその身柄を拘束したうえでその発布を得たものであり、その執行、すなわち、被告人からの強制的採尿も右の身柄拘束を受けている被告人に対して行ったものである。すなわち、本件強制採尿に至る一連の手続は、右の別件による被告人の身柄拘束が前提となり、かつ、これを利用して行われたものであり、これなくしてありえなかったと考えられるものである。

ところが、前記(二)で述べたように、被告人に対する右の別件による逮捕は、その理由も必要性もないのに、真実は本件の覚せい剤使用罪の捜査のために、被告人から最終的には強制的に尿を採取する目的で、しかも、本件では未だ被告人の身柄を拘束しえない段階でこれを行っていた違法のものである。

したがって、本件の実質的な強制採尿に至る一連の手続は、捜査官らが当初から意図的に被告人を違法に拘束し、その拘束を意図したとおりに利用してその目的を遂げたものとして、これに重大な違法が存するものといわなければならない。

3 本件申立ての各証拠の証拠能力

(一) 前記2の(五)で述べたように、本件の捜査官らが被告人に対して行った強制採尿手続には重大な違法が存するところ、本件の事案の性格と前記の捜査の経過に照らすと、捜査官らが右のような違法を敢えて犯さなければならなかったとされるような緊急性や重大性にかかわる特別な事情は何ら存しない。

しかも、右捜査過程には、すでに2の(一)ないし(四)で指摘した多くの問題点ないし違法が認められるのである。すなわち、これを要約すると、捜査官らは、①(一)でみられるように、本来なすべき地道で確実な証拠収集のための努力を怠り(なお、捜査官らが、もし、被告人の腕に新しい注射痕を認めたとするならば、これを客観的資料に留めるべく、医師による観察を得たり、接写写真の撮影を試みるなどすべきところ、これらを全く行っていない。)、②その一方で安易な方法を選び、(二)のように、本件の捜査のために、別件で、しかも、その別件でも許されない逮捕を行う違法を犯し、③その結果、被告人に対し不当な拘束を続けたうえ、(三)のように強引な捜査方法により、その人権を著るしく侵害し、④尊重すべき令状の発布を求めるにあたり、(四)のように偽りの資料を提供し、⑤しかも、(一)のように、取得した令状の本旨に従った執行をせずに、これをいわば恣意的に利用するなどの諸点が認められるのである。

(二)  以上によると、本件の捜査官らが被告人に対して行った一連の捜査には、人権を保障すべき憲法三一条の法定の適正手続並びに憲法三三条、三五条及びこれを受けた刑事訴訟法の令状に関する諸規定を軽視し、潜脱しようとする態度が顕著に認められるとともに、本件採尿手続に認められる前記の違法は、いわば、その帰結として、右適正手続、令状主義の精神を没却したものといわざるをえない。

そして、本件のこのような違法な手続によって得られた被告人の尿を証拠として許容することは、司法で守られるべき正義と公平の理念に著るしく反し、また、今後同様の違法な捜査が繰り返される虞を拭うことができないものとなる。

したがって、本件の被告人が提出した尿については、その証拠能力を認めることができない。

(三)  右のように、被告人の尿に証拠能力を認めることができない以上、これが証拠能力を有ることを前提として作成された本件申立ての司法警察員Y作成の捜索差押調書、同Z作成の鑑定嘱託書(謄本)及び埼玉県警察本部刑事部科学捜査研究所長作成の「鑑定結果について」と題する書面のいずれにも、証拠能力を認めることができないこととなる。

なお、弁護人は、本件第一回公判期日で右証拠の取調べに同意をし、すでにその取調べが行われているが、その各証拠の証拠能力は前記のように捜査手続に重大な違法が存することを理由に否定されるべきものであるところ、本件記録によると、弁護人が右各証拠の取調べに同意したのは、当初は本件捜査手続に前記のように重大な違法が存することを未だ把握しえなかったからであり、第二回公判期日以降、一貫して右手続上の違法を問題視し、これを明らかにすべく訴訟活動を続けて本件申立てに及んだ経過が明らかであり、これによると、右の取調べに同意したことをもって本件申立てやこれにかかる証拠を排除することの妨げにはなりえないものと解するのが相当である。

(四) 他方、本件申立ての司法警察員Y作成の写真撮影報告書については、前記1のとおり、これも、捜査官が被告人を前記銃刀法違反を理由とする逮捕による違法拘束中に被告人の左腕を撮影して作成したものではあるが、被告人は捜査官らに逮捕される前にすでに自ら左腕を示して注射痕の有無について確認することを許しており、また、その経過に照らすと、捜査官らの右逮捕も、右写真撮影までも目的としてこれに及んだものとも認め難く、これによると、右写真撮影については、これに基いて作成された右報告書を証拠能力がないものとして排除する程に重大な違法性はないものと考えるのが相当である。

第三 結論

以上の次第で、本件申立ての各証拠のうち、前記写真撮影報告書を除く各証拠については、証拠能力を認めることができないので、これを本件被告事件の証拠から排除し、右報告書については、その理由が認められないので、その申立て部分を棄却することとし、主文のとおり決定する。

(裁判官岩垂正起)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例